油画科

Oil Painting
油画科

油画科

Oil Painting

鎌倉大船校|横浜校(夜間部のみ)
昼間部 月〜土 9:30〜16:30
夜間部|特進コース 月〜土 17:30〜20:30

横浜青葉台校
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夜間部|特進コース 月〜土 17:30〜20:30

根拠から導く本質的な絵画指導へ

「ここでは抽象的で曖昧な指導ではなく、具体的なアドバイスを受けることができた」、ショナビの油画科に参加した生徒は口を揃え、一様にこう言います。

皆さんが絵画表現の世界に思い抱くイメージは、“個人の感覚や抽象的な価値観が全てを決める世界”との認識ではありませんか?確かに一般的にはこれに準じた指導方法もあるのでしょうが、私たちは違います。

良い作品には、その要因となる根拠が備わっているという、共通した側面があり、それ自体は様々です。丁寧に個人の資質と向き合いながらも、この“様々な根拠”を具体的に紐解きつつ指導できるのが、ショナビの油画科なのです。

他では決して真似できない
指導内容が、
ここにはあります!

近年、生徒が増え続けているショナビ油画科の人気には、きちんとした理由があります。東京芸大をはじめとする難関美術大学への合格率の高さはもちろんのこと、指導プログラムは明瞭で、かつオリジナリティに溢れているからです。誰もが学び、また自ら学びたいとの意欲をもって挑む姿勢が、ショナビ油画科には普遍的に存在します。私たちと共に価値ある学びを体験し、夢を掴んでください。

表現〜『モノが描けることと、
絵が描けることは、必ずしも一致しない』

私はしばしば講評時などで、「いくらモノが上手に描けても、絵が描けなければ仕方ない」とのメッセージを伝えます。今回はこのフレーズの真意に沿って、少し記述します。

まず前提として、美術の道での造形基礎力の条件として語られることが多い“描写力”とは、一体何を意味しているのでしょうか?

これは文字通り訳せば“描き写す力、又は写すように描く力”となります。日本の美術教育の価値観では往々にして“モノがそっくりに描けること(写す力)”に評価を与える傾向が強いですよね…そしてその能力が高い人は同時に、“絵が上手い人”と評されるわけです。

19世紀半ばに興った産業革命時に開発された写真を印画紙に紙焼きできる技術開発は、対象に迫る、もしくはそれらしくすることを善しとしてきた絵画上の価値観が大きく揺らぐ出来事でした。そこで登場するエドゥアール・マネは、端的に言えば「写真とは違う、絵画特有の価値とは何か?」を問い掛け続けた画家でした。そこからマネは、以降の画家達を牽引することとなる絵画的成果を複数に渡り生み出すわけですが、彼が用いたテクニカルな側面以上に大切な点は、この“問い掛け”からの“表現の意味や価値の更新”にあります。

エドゥアール・マネ「クリスタル花瓶の花」1882年
エドゥアール・マネ
「クリスタル花瓶の花」 1882年
エドゥアール・マネ「ボブ」1876年
エドゥアール・マネ
「ボブ」1876年

絵画の評価を“対象の再現や記録性”に求めていた画家はマネと同時代にも多数いて、写真(印画紙技術)の出現後にそのほとんどは筆を折らざるを得なかった。これは“価値の更新”ができなかった人達の悲劇である。マネ自身はイタリア留学時代に造形基礎を学んだこともあり、的確な素描力を持った実力者であったが、それ以上にその力を絵画上で「どのように使うのか?」との観点を深く考察できた能力に秀でていた。

結果として複数の観点から新しい絵画の価値観を提案した彼だが、「制作中に“きっちりと描き過ぎた”と判断した場合、そこを剥ぎ取り、あえてバサバサとした筆跡を用い描き直した」との逸話が残っている。バロック時代の代表的画家のひとりであるベラスケスへの接近の事実と共に、ここに彼の表現上での戦略の一端がうかがえる。

松岡寿「球と多角柱」1884年
松岡寿「球と多角柱」1884年
シャルル・バルク 「デッサン教則本」より
シャルル・バルク 「デッサン教則本」より

松岡がイタリア留学中に描いた素描と油彩画。素描に関しては対象に見る陰影を巧みに捉えている秀作で、このような制作の中では一種の頂点を極めている。ここには、当時ヨーロッパ中の画学生の多くがお手本としていたシャルル・バルクが執筆した「デッサン教則本」からの影響が見られ、その意味ではこの作品はひとつの“型”を習得した成果と言える。そしてここに見られる素描観は日本人のアカデミズム的判断基準の脳裏に浸透し、それは現在でも生きているのだろう…一方油彩画は、彼の同時代にあった平凡な作品の模倣範囲を越えない内容にとどまっている。

レオナルド・ダ・ヴィンチ
「モナ・リザ」1503年~1519年頃
フィンセント・ファン・ゴッホ 「ゴッホの母の肖像」 1888年
フィンセント・ファン・ゴッホ
「ゴッホの母の肖像」 1888年

しばしばこの世界の指導現場で“絵画的”とのワードを耳にしますが、この語彙には“記録性(描写)に頼らない何か”の有無を計ろうとする態度があります。

レオナルド・ダ・ヴィンチが描いたモナリザの頬にタッチが無い理由は、人の皮膚にはタッチがないからですし、フィンセント・ファン・ゴッホが描いた人物像の頬にタッチがあるのは、人の皮膚をきっかけとして(写真とは違う)“絵”を描こうとしたからです。

以前、ある絵画指導者の方から『セザンヌは下手な画家ですよね?』と突然言われ、その場で意見を求められて戸惑った経験があります。

ポール・セザンヌ 「水浴図のための習作」 1885~1890年頃
ポール・セザンヌ「水浴図のための習作」1885~1890年頃

その方の言う『セザンヌの下手さ』とは、おそらくこのような作例が脳裏にあったと思います。40年以上に渡り絵を描き続けた彼ですから、その間にさまざまなタイプの絵画(もしくはドローイング)を残しています。この場合の「水浴図」に関して確実に言えるのは、制作時に“人体をそっくり写すように描く”ことを目的にしていない点です。(これらのシリーズを描く時に彼は、珍しく目の前に対象を置かずに描いていたことがその決定的な理由です)

では何を目的に人体を描いているかと言えば、人間と自然との調和を主題に用いつつ、本人の言葉を借りると「光の振動の中に空気を感じさせる制作」となるのでしょうか… 

そこでは単に対象の骨格や筋肉、肌の質感などの在り方を追うのではなく、モノの存在の周辺に漂う“揺らぎ”に着眼し、それを巧みな筆致から繰り出される美しい絵具層を使って描いています。

20世紀の絵画史とは、同時期に様々なイズム(主義)から新しい表現が生まれた、過去に例を見ない稀有な時代であったと言えます。その成果は実に多様で、ひとつに括ることは不可能です。しかしあえてそこに共通項を見出そうとすれば「そのほとんどが唯物的な表現である」との評価ができます。これはキリスト教絵画がそうであるように、ヒトの観念が紡ぐ物語やそれらを構成する対象物以上に、キャンバスや絵具という物質が直接的に表現内容を語り、結果的にそれが或る観念を生み出していることを指します。

ポール・セザンヌ「水浴図」 1890~1892年
ポール・セザンヌ
「水浴図」 1890~1892年
ポール・セザンヌ「背面の男」1862年
ポール・セザンヌ
「背面の男」1862年

セザンヌもシャルル・バルクの「デッサン教則本」から学んでいることが分かる素描を数枚残している。それらを見ると俗にいう“上手さ”の持ち主であることが確認できる。「そうにしか描けないのか?」、それとも「あえてそう描いているのか?」、ここへの問い掛けは深淵だ…

ショナビ油画科は、上記で語るような史実に対して都度に具体的な観点を持ちながらシャープに切り込み、理にかなった絵画指導を日常的に実施しています。「感覚的で曖昧な言葉ではなく、理論的で具体性を伴った言葉による絵画指導を受けてみたい」と感じている受験生諸君は、是非一度参加してみてください!

ギャラリー 油画科

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東京芸術大学美術学部絵画科油画専攻 合格者作品 素描表現
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